短冊の旅その5 北辺門の歌人たち

北辺門の短冊の旅もだいぶ解明が進んできました。「富士谷御杖の門人たち」(菅宗次 臨川書店)の 資料三 北辺門学統図を見ながら手元の短冊を分類しました。短冊の裏書等から、以下の短冊ではないかと思われるものが見つかりました。(あくまでも素人の判断です。。。)富士谷成章・富士谷成憲・富士谷御杖・榎並隆璉・福田美楯・赤松祐以・福田祐満・遠藤千胤・中村重威・大八木万左式(真挟)・井上千祥・梅村三内・小西大東・上野正聡・岩田重良・腰山重剛・木村文邦・藤原春月・石川昌三郎・夏目梁古・西村耕文・松田長教・中島みち子・村井きみ子・西地梅園・菱田雪子・菱田孝典・与謝野礼厳・大久保俊雄・護城春草・出石秀瑛・田所重礼・勝見義和・青木遊雅・石田新玉・高橋百秋・難波らく子・尾崎正吉・清水義孝・中島兼治・毘尼薩台厳・日下部大彦・高橋幸子・下村秀子・小林亀井子・永吉吉幸・依岡珎麿・児島環・宇野久保・嶋田久寿子・護得久朝貴・稲田近雄。。。疲れました。icon10まだ分析できていない短冊も多数あります。大八木万左式(大八木正太郎真挟)の短冊は数が多く、おそらく大八木家から出た一連の短冊ではないかと考えられます。
値段はともかく、北辺門の歌人を知るには貴重な資料ではないかと思います。

短冊の旅その5 北辺門の歌人たち


大八木正太郎正挟の文字が見られる短冊 短歌の結社の須賀室の墨書も読み取れる。大八木家の住所も記載されている。


短冊の旅その5 北辺門の歌人たち

短冊の旅その5 北辺門の歌人たち


練習の跡が見られる大八木氏の短冊 酒の商標と思われるものも見られる。

参照
与謝野礼厳 よさの-れいごん 1823-1898幕末-明治時代の僧,歌人。
文政6年9月13日生まれ。与謝野鉄幹(てつかん)の父。浄土真宗本願寺派。京都願成(がんじょう)寺の住持で,国学と和歌に通じた。幕末には尊攘(そんじょう)派の僧として国事に奔走。維新後は小学校開設の必要を説き,また京都に療病院をひらいた。歌集に鉄幹編「礼厳法師歌集」がある。明治31年8月17日死去。76歳。丹後(京都府)出身。旧姓は細見。出典:講談社 日本人名大辞典

富士谷 成章(ふじたに なりあきら、元文3年(1738年) - 安永8年10月2日(1779年11月9日))は、江戸時代中期の国学者。皆川成慶(春洞)の次男で、儒者皆川淇園の弟。柳川藩京都留守居富士谷家の養子となる。通称は専(千)右衛門。字は仲達。号は咸章、北辺。生まれは京都。子に富士谷御杖がいる。漢学を兄皆川淇園に、和歌を有栖川宮職仁親王に学んだ。国語学者として国語の時代区分・品詞分類などに功績を残し、特に和歌の変遷を示した著書「六運略図」「北辺七体七百首」は国学者本居宣長に賞賛された。また、語学書「挿頭抄(かざししょう)」「脚結抄(あゆひしょう)」は品詞の研究における画期的な成果である。歌集に「北辺成章家集」、詩集に「吟候社詩稿」がある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/04/03 15:14 UTC 版)

福田美楯 ふくだ-みたて 1789-1850江戸時代後期の国学者。
寛政元年生まれ。京都の塗師。富士谷御杖(みつえ)に師事し,学風をついだ。嘉永(かえい)3年5月20日死去。62歳。通称は左兵衛。号は幸舎。著作に「奉讃正信念仏偈歌(しょうしんねんぶつげか)」など。
出典:講談社 日本人名大辞典










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2010年10月30日 Posted by宙さん at 22:24 │Comments(0)短冊

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