チョコボール





でもチョコボールって懐かしいですよね。おもちゃの缶詰の中身は非公開というのもなんか面白いですね。昔は金の嘴」と「銀の嘴」はパッケージの色が微妙に違っていたからわかりやすかったとか(本当かな?)。結構我が家でも話題になりました。でももう大人買いはやめてくれ。。。。。。
2010年06月30日 Posted by 宙さん at 21:28 │Comments(0) │お菓子
インターネット句会
最近句会になかなか参加できず、パソコンでインターネット句会に密かに参加しています。社団法人日本伝統俳句協会の句会です。私は、結社には所属してはいませんが年会費を振り込むとインターネット上で句会に参加できます。結構な数の選句も行いますので句会に行けない私には良い勉強になります。
「抽斗に軍事郵便雲の峰」 今月の坊城俊樹先生の選の佳作に入りました。ありがとうございました。

「抽斗に軍事郵便雲の峰」 今月の坊城俊樹先生の選の佳作に入りました。ありがとうございました。

2010年06月25日 Posted by 宙さん at 00:05 │Comments(0) │俳句
十湖賞のこと 蛍
「蛍」の忘れ得ぬ句のお話です。
少し自慢になりますが。以前こんな句を作りました。
「牛小屋にほうたる一つ二度童子」(にどわらし:痴呆老人のこと)この句が第一回十湖賞の区長賞をいただきました。
以下、当時「椎」の「ざざんざ織り」に投稿した文章です。(一部割愛)
よかったこと
高柳 宙
思わぬ賞に恵まれた。十湖賞の中の区長賞をいただいた。九鬼先生、選者の高柳克弘氏(名字が一緒!)をはじめ皆様方に心より感謝申し上げます。また、受賞もさることながら当日の俳句フォーラムでは有意義なお話を伺うことができた。主宰を始めそうそうたるメンバーのお話を前列で拝聴させていただき、実に貴重な体験ができた。日頃の句作へのなまけ心を反省するとともに、改めて俳句の素晴らしさ、難しさ、地元に根ざすことの大切さがわかり、椎の俳句理念を再確認できた。勿論しっかりコーディネーターの神野紗希さんとのツーショットの写真もゲットできた。(これが大事)。副賞の凧に句が入った装飾額も素晴らしいものであり、(中略)。表彰式は大賞の田中さんや入選した太田さんと御一緒させていただいた。堂々としていた皆さんに比べ自分は緊張のしっぱなしでありかなり疲れた。

コーディネーターの神野紗希さん

選者の高柳克弘氏(名字が一緒!)

「椎」九鬼あきゑ主宰

選者の皆様

残念なことにそのあとは鳴かず飛ばずであります。
松島十湖(じっこ=1849~1926)
俳人・報徳運動家・政治家。松島源左衛門の長男として豊田郡中善地村(浜松市)に生まれる。幼名吉太郎、吉兵衛、のち吉平と改称。俳号大蕉庵十湖。
城東郡笠原村(旧小笠郡大須賀町・現掛川市)撰要寺住職戒誉玄常に書、法典の教えを受け、のち国学を有賀豊秋(1790~1882)に、漢籍・詩文を高橋月査・小栗松靄(しょうあい=1814~94)に学ぶ。15歳で俳諧を栩木夷白(とちぎいはく=1797~1876)に学び、夷白死後は伊藤嵐牛(らんぎゅう)橘田春湖に教えを受けた。
俳人としての十湖は、全国的に門人を数え、地方俳壇の一つの尾根を形ずくっていた。句碑は全国にある。
十湖には二つの面があった。一つは句作による芭蕉文学に傾倒する精神的なもの。もう一つは二宮尊徳を崇拝して経済・道徳によって指導する実践的なものである。
十湖の句に教訓的なものが多いといわれるのも、この二つが統一された焦点にあるかのように思われる。また小田原の報徳学者福山滝助について報徳思想を学び、1868(明治元年)中善地村報徳社を組織、営繕司に一時出仕。1872年(明治5)報徳遠譲社を結成、社長となる。翌年より戸長、恒武(つねたけ)学校幹事、区会・村会議員を務め、1879年(明治12)引佐・あら玉郡長となる。1885年(明治18)西遠農書館を創設、1889年(明治22)遠陽大同倶楽部を組織、翌年大同倶楽部に加盟、再び県会議員となる。 出典「静岡県 歴史人物事典」
十湖賞東区は、松島十湖をはじめとする多くの俳人を輩出している。また、俳句に親しむ区民も多いなど、俳句との縁が深い地域である。
このことから、東区を「俳句の里」と位置付け、俳句を通し、地域の新たな魅力を発掘するため、「十湖賞」俳句大会を創設する。浜松市 東区議会だより より
少し自慢になりますが。以前こんな句を作りました。
「牛小屋にほうたる一つ二度童子」(にどわらし:痴呆老人のこと)この句が第一回十湖賞の区長賞をいただきました。
以下、当時「椎」の「ざざんざ織り」に投稿した文章です。(一部割愛)
よかったこと
高柳 宙
思わぬ賞に恵まれた。十湖賞の中の区長賞をいただいた。九鬼先生、選者の高柳克弘氏(名字が一緒!)をはじめ皆様方に心より感謝申し上げます。また、受賞もさることながら当日の俳句フォーラムでは有意義なお話を伺うことができた。主宰を始めそうそうたるメンバーのお話を前列で拝聴させていただき、実に貴重な体験ができた。日頃の句作へのなまけ心を反省するとともに、改めて俳句の素晴らしさ、難しさ、地元に根ざすことの大切さがわかり、椎の俳句理念を再確認できた。勿論しっかりコーディネーターの神野紗希さんとのツーショットの写真もゲットできた。(これが大事)。副賞の凧に句が入った装飾額も素晴らしいものであり、(中略)。表彰式は大賞の田中さんや入選した太田さんと御一緒させていただいた。堂々としていた皆さんに比べ自分は緊張のしっぱなしでありかなり疲れた。
コーディネーターの神野紗希さん
選者の高柳克弘氏(名字が一緒!)
「椎」九鬼あきゑ主宰
選者の皆様
残念なことにそのあとは鳴かず飛ばずであります。

松島十湖(じっこ=1849~1926)
俳人・報徳運動家・政治家。松島源左衛門の長男として豊田郡中善地村(浜松市)に生まれる。幼名吉太郎、吉兵衛、のち吉平と改称。俳号大蕉庵十湖。
城東郡笠原村(旧小笠郡大須賀町・現掛川市)撰要寺住職戒誉玄常に書、法典の教えを受け、のち国学を有賀豊秋(1790~1882)に、漢籍・詩文を高橋月査・小栗松靄(しょうあい=1814~94)に学ぶ。15歳で俳諧を栩木夷白(とちぎいはく=1797~1876)に学び、夷白死後は伊藤嵐牛(らんぎゅう)橘田春湖に教えを受けた。
俳人としての十湖は、全国的に門人を数え、地方俳壇の一つの尾根を形ずくっていた。句碑は全国にある。
十湖には二つの面があった。一つは句作による芭蕉文学に傾倒する精神的なもの。もう一つは二宮尊徳を崇拝して経済・道徳によって指導する実践的なものである。
十湖の句に教訓的なものが多いといわれるのも、この二つが統一された焦点にあるかのように思われる。また小田原の報徳学者福山滝助について報徳思想を学び、1868(明治元年)中善地村報徳社を組織、営繕司に一時出仕。1872年(明治5)報徳遠譲社を結成、社長となる。翌年より戸長、恒武(つねたけ)学校幹事、区会・村会議員を務め、1879年(明治12)引佐・あら玉郡長となる。1885年(明治18)西遠農書館を創設、1889年(明治22)遠陽大同倶楽部を組織、翌年大同倶楽部に加盟、再び県会議員となる。 出典「静岡県 歴史人物事典」
十湖賞東区は、松島十湖をはじめとする多くの俳人を輩出している。また、俳句に親しむ区民も多いなど、俳句との縁が深い地域である。
このことから、東区を「俳句の里」と位置付け、俳句を通し、地域の新たな魅力を発掘するため、「十湖賞」俳句大会を創設する。浜松市 東区議会だより より
2010年06月23日 Posted by 宙さん at 23:12 │Comments(0) │俳句
見学会ありがとうございました。
ヤクルト裾野工場・富士常葉大学・静岡大学農学部の皆様お世話になりました。また参加された皆様お疲れ様でした。有意義な見学会になりました。ありがとうございました。
富士常葉大学で蛍の話を伺った夜、我が家の肥料倉庫の前で蛍を見ました。今年初めての蛍でした。感激しました。宙さんの蛍の名句は次回。

富士常葉大学で蛍の話を伺った夜、我が家の肥料倉庫の前で蛍を見ました。今年初めての蛍でした。感激しました。宙さんの蛍の名句は次回。

2010年06月22日 Posted by 宙さん at 23:23 │Comments(0)
園芸講座お疲れ様でした。アイセル
草花の暑さ対策・梅雨時の病害虫の防除・コンパニオンプランツetc。。。。園芸講座終了いたしました。蒸し暑い中御来場いただきありがとうございました。
私も少々風邪気味でハスキーな声になってしまいました。

私も少々風邪気味でハスキーな声になってしまいました。

2010年06月19日 Posted by 宙さん at 17:33 │Comments(0) │花
トレンド コサージ


今バッグにコサージを付けるのが流行っています。青島教室で作った手作りのコサージです。


夏らしい感じのコサージです。
今年の夏はこれで。


2010年06月08日 Posted by 宙さん at 22:12 │Comments(0) │花
子規居士十五周忌記念画帳

子規居士十五周忌記念画帳

表紙は河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)の題字

碧梧桐の句(肉筆)

高濱虚子(たかはま きょし)の句(肉筆)

中村不折(なかむら ふせつ)の画(肉筆)

中村鳴雪(なかむら めいせつ)の句(肉筆)


以下は複製(一部掲載)



以前古書店より購入したものです。